Thinking In The Past.

Unlearning

2016.04.02

最近、物事を習得する方法は様々に開発されているけれど、忘却というか、リセットの方法はあまり開発されていないなと感じる。

子供の時に、周辺の人間が使っている言語で会話を始め、その言語で思考を始めるわけだから、環境の影響は受けるわけだし、さらには文化的な要因からも影響を受け、癖がついてくる。

人生をある程度生きていくと、考え方の癖や動きの癖というものが出てくる。高校生の女の子を指導していた時、なぜかハードルを飛ぶ時に足首が伸びてつま先を前に突き出すようにしてしまう。もっと足の裏をゴールに向けてと言ってもなかなかできない。聞いてみると子供の頃からバレエを習っていたのだという。

癖自体は何の問題もないけれど、環境によりそれが問題になる時がある。その時、上手に過去習得したものを消して新しいものを書き換えられないと、不具合が生じてくる。learningのやり方は、日本ではたくさんあるけれど、果たしてunlearningはどうやってやればいいのだろうか。刷り込む方法はわかったとして、それを消して0にするにはどうしたらいいんだろうか。

スポーツで言えば技術というのは無意識で出せるようにならないと使い物にならない。ドリブルを一生懸命やっている選手はサッカーどころではない。何にも考えないでドリブルをできるから、目の前の相手をみたりパスコースを探すことができる。ところが、癖というのはこの無意識に宿る。無意識のクセを読み取られるといいように相手にしてやられる。せっかく覚えた型がもし見抜かれた時、型を刷り込んでいればいるだけ自分に不利になる。

なかったことにするためには、何を自分は覚えてしまっているのかがわからないといけない。考え方の癖であるとか、動き方の癖であるとか。引退したときに、困ったのは、すべて自分でやろうとする癖と、勝とうとしてしまう癖だった。そもそもそんな考え方が競技で覚えてしまったことだとは思ってもいなかった。自分でできないことは人に任せて、自分が勝つのではなくて関わった人みんなができるだけ幸せになるように意識してようやく少しマシになってきた。

あるところでは最適化されたものが、環境が変われば害になる。そのときにちゃんと忘れられるかどうかは素直さにかかっているように思う。変化しない人は信念が強い。悪く言うと自分を変えられない。