Thinking In The Past.

リテラシー

2015.01.28

リテラシーという言葉が日本で出てきたのはここ数年だろうか。調べてみてもあまりピンと来るものはないのだけれど、昔は識字という意味で使われていたように何かの基礎的な知識ということになるだろうか。現在ではもう少し広義になっているように思う。メディアリテラシー、ITリテラシーなど様々に。

リテラシーが低いと馬鹿にされる。ようはものを知らんということだろうと思う。またはリテラシーが低いと簡単に人に騙される。メディアリテラシーが低いから日本人はマスメディアにも踊らされるし、こんにゃくがいいと番組で紹介されたからといってこんにゃくが売り切れる。

私のおばあちゃんはよく人に騙された。例えばある日、これが売れないと会社に帰れないんですと泣きついてきた若者からすっごいでっかい業務用の掃除機を買ったりした。別の日なんかは、旅の途中で路頭に迷って家に帰れないからどうか1万円を貸して欲しい、必ず返すからと言われて貸した。もちろんお金は返ってきてない。平成の世に旅人が村の家を尋ねるなんてありえないんだろうと思うけれど、そういう話がたくさんある。

家族が集まるとおばあちゃんはそれをみんなにつっこまれて、いつも笑っていた。”あん時はこの人は本当のことを言うとると思ったんじゃけどのう”と言いながら、全く反省していなかった。そして時々そうは言ってもいつか若者が来るかもしれんし、とも言っていた。ああきっとこの人はまた同じことをしてしまうんだろうなと思って僕は聞いていた。

リテラシーを高めないとこれからの時代はダメだという。騙されない為には徹底的に知識で固めて、一つ一つしっかりと頭で検証するべきなのだと思う。本当にそうなんだろうかと疑いを持ちながら生きていることが大事なことだとリテラシーに関するブログに書いてあった。

おばあちゃんはリテラシーが低かったのかもしれない。僕もたぶん幾つかの分野のリテラシーが低い。だからなんでも感心してしまって、人に騙されやすいのかもしれない。きっと人生トータルでは損をするんだろう。それでもおばあちゃんは90を過ぎてとてもいい笑顔で笑う。僕はリテラシーが高くても低くてもいいけれど、最後はああいう笑顔になる人生を送りたい。