Thinking In The Past.

役割

2015.01.23

”毎日走るのですか”
最初の質問の3割はこう聞かれる。外から見てみれば僕は元アスリートなんだろうし、走る人だから当然といえば当然なのだけれど、とはいえ会社に行って仕事をしている側面もあるわけだから不思議な気分になるときもある。
少し前に障害者は人を感動させないといけないのかという動画があがっていた。私たちは普通に生きているだけで世の中が勝手に私たちに意味を押し付けてくるという動画だったから共感したのだけれど、一方でその押し付けは無くせないだろうなあとも思った。
一目で特徴を持った人、誰から見てもわかりやすいバックグラウンドを持った人は多かれ少なかれこんな経験をしている。僕も現役時代陸上選手という役割を与えられるのを嫌がって抵抗していたけれど、一通り抵抗し切ったら、結局外から見てそうなんだし、そもそも確かにそうでしかないのだからと思って抵抗をやめた。
はっきりとした配役が決まっていない人生の方が多いからこの悩みはどの程度共有されるかわからない。普通の人生では配役でも代わりがいたり、自分だけに用意された役柄がなくて人は悩む。それからすれば贅沢な悩みだろう。ただ配役が決まりすぎて、自分の意向が無視されてそれを押し付けられることに抵抗を感じる人も確かに一定数いる。抵抗し続ける人もいるだろうし、僕みたいにどうせ全部幻なんだからと割り切る人もいる。役割と一体化している人もいる。最後の人が一番幸せだと思う。
ある有名な方と一緒になった時に”大変な役柄ですね”と話かけたら、ふっと不思議な顔をして”私は私だから”という答えが返ってきた。そういう見方で生きられたらとても幸せなんだろうなと思って、質問するのはやめにした。
テレビは大体の流れがある。僕がするべき役割もだいたいわかる。でも時々全部すっ飛ばしてそのままになったらどうなっちゃうんだろうという気分にもなる。舞台を降りても舞台があって、どうせ逃げられないんだったら、おどらにゃそんそんである。