Thinking In The Past.

編集の癖

2014.11.22

自分の見方を肯定するような情報を集めてしまうという癖がどの人にもあると思うけれど、これが極端に強い人がいる。客観的に見る、違う側面から見るということをほとんどやらずに、ある見方を補強する為に情報を結びつけてしまう。そしてひどい場合にはこの答えありきの情報収集と恣意的な結びつけをしていることに、気付いてすらいない。だから自分は客観的にたどり着いた結論と思いこんでいる。

こういう人の厄介なところは、自分の結論は客観的に情報を集めて出てきた結論だと思っているから、万人に共通だと思っていて、この結論に至らない人は情報が欠如しているかまたは頭が悪いかのどちらかだとすら思っている。

こういう人はなぜ怒っている確率が高いのか。また人生に不満を持っている確率が高いのか。それは人生においても、同じように強固な見方をしているから。自分の人生ではない事象に関しては、腹を立て、なんでみんなこんなこともわからないんだというので終われる。ところが自分の人生ではそうはいかない。なにしろ自分は今まさにその中を生きている。

人生の成功とは多くの人に認められることであるという強い見方を持っている人がいる。ところが自分の人生はそうなっておらず、平凡な範囲で生きている。その人は自分の人生をその強固な見方で裁いてしまっている。本当はキラキラはしていなくても悪くもない毎日を生きているのだけれど、それを素晴らしいという見方ができない。自分の固まった見方からみると、全てがどうしようもないものに見えている。

見方を変えられない人は、不幸せな人になりやすい。なぜなら不幸せとは突き詰めれば状況ではなく見方の癖だから。ある出来事を恣意的に編集するその癖が自分の人生にも向いている。そしてその癖は自分で気づく以外になおしようがない。