Thinking In The Past.

人が盲信する時

2018.05.08

数日前友人の朽木さんが書いた本を読んで色々刺激を受けたのですが、特に人はなぜ盲目的に思い込んでしまうのか、そしてそういった人は救えるのか、というくだりに思い出すことがあり考えさせられました。

競技人生はプレッシャーが強く、かつ何が答えなのか見えないために(これは社会も同じかもしれませんが)全体をすっきり説明してくれる理論が出てくると飛びつきたい欲求が芽生えます。昔から、選手が怪しげな宗教や不可思議な整体師にハマったりということがよくあるのはこの為です。

朽木さんも書いておられますが、人体はとても複雑で、ある一つの理屈で説明できるほど簡単ではありません。さらに、切り離された自分自身というものもいなくて、環境の影響を受けながら存在しています。例えば、調子が悪い選手がいて、調べると食生活が乱れているので栄養士と共にそれを改善します。ですが、今度は練習に出てこなくなってしまいました。話を聞いてみると、私生活で悩みを抱えていてそのストレスのはけ口を食べ物で発散していたところ、それが制限されたので別のところに救いを求めていた、ということがわかりました。因果はいつも最後までわからず、個別の部分だけ見ても全体は把握できません。個別の集合は全体そのものではないわけです。

だから誠実なコーチは言い切ることに躊躇します。ところが、選手から見るとそれはコーチの迷いに見えるので、はっきりと言い切ってくれる人の方が信用できる気分になってしまうわけです。実際には物事を深く知らないほど人は言い切りやすいのですが、それがわかるほど選手は年齢を経ていません。ほとんどの選手のピークはせいぜい20代で訪れます。

私も競技人生で、これは間違い無いと思い込んではまったことがありました。私の場合は、その理論の問題というよりも、私自身が絶対的な理論を求めすぎて勝手にはまり込んだ感じに近かったと思います。その当時を分析すると、以下のようなものでした。

・世の中は気づいていないが、私は真実に気づいた。みんなが理解できないのは深く考えていないからだ。
・この理論は完璧なのでいかなる反論も受け付けない。こちらが反論をする必要すらない。
・成功はどの程度信じるかによって決まる。より信じている人の方が成功しやすい。

当時、私は人のアドバイスを聞いているようでバカにしていて、誰の話も聞いていませんでした。私だけは気づいていると思い込んでいるのが盲信状態の一つの特徴でもあります。この理論一つで全てうまくいくと思い込んでいましたが、当然そんな都合のいい魔法はありませんから、私はどんどんスランプにはまっていきました。そうなると人間はムキになっていきます。ほら見たことかと周りに言われることにわざわざ反応して、絶対にこのやり方が正しいと証明して見せると思い、余計にはまり込んでいきました。

冷静になったきっかけは、世界大会をテレビで見ていて、自分が今やっている理論を知らない海外の選手が世界一になってる、もしかして頂点に登る道はこれだけではないのかもしれないんじゃないか、とふと冷めました。振り返ってみると終盤は、うすうす自分でも気づいているのだけれど今更間違えを認められないと意地になっている自分に対し、後ろに立って自分の肩の力をすっと抜いてあげるような、そんな感じでした。

人が盲信している状態は、線引きが難しいところがあります。自分が現在持っている価値観は社会からの貰いものだから外に思い込まされているとも言えますし、今もまさに自分自身が何らかの思い込みの最中にいる可能性もあります。また、強いチームにはカルト的な空気を持っているところが少なからずありますので、信じることが必ずしも問題になるわけでもありません。ただ、信じている状態は気が付かない間に人の声が聞こえないほどにいきすぎることがあり、一旦いきすぎれば気付くことがとても難しくなります。奥にいくほど我に返りにくく、周囲と距離ができ、孤立したり、または同じ思い込みの世界の住人のコミュニティにはまり込むので、抜け出ることも容易ではなくなります。

インフルエンザになった時に、インフルエンザウイルスが原因の一つなのは間違いありませんが、そもそも免疫が弱っていることも関係しています。同じように、盲信する人は、盲信する対象が入り込むだけの空白がすでに自分の中にあったのではないかと思います。空白は誰にでもありますが、その空白感が強い人や、強くなる時期というのがあり、その時に空白に入り込んだ対象を盲信し始めるように思います。いや、正確にいうと盲信先を自ら探しているような人もいるのではないかと思います。その人にとっては空っぽの虚しさを感じながら生きるよりは、何かで空白が埋まっている方が楽ですから、盲信と言われようとも対象に執着します。その人はそれにすがり付くだけの理由があるから、引き剥がすのが難しいのです。

競技人生で学んだのは、自分の中にある苦しさは、外部から埋めることができないということでした。私には若い頃”完璧”というアイデアが頭にありました。完璧があるから完璧ではない状態があり、故に欠損が意識されるわけです。成長と自分は呼んでいましたが、実際のところは穴埋め作業だったのだろうと思います。競技人生前半の執着心あふれる姿と、今の適当な姿を見てあまりの違いに驚く人もいらっしゃいますが、徐々に競技観が変化し、完璧よりもあるがままの発展を重視するようになったことが影響しているように思います。力を入れるより抜く方が数段難しいなと思った競技人生でした。

Deportare newsより転送しています。

 

インフルエンザ菌→インフルエンザウイルスの間違えだそうです。ご指摘いただいた方どうもありがとうございました。