Thinking In The Past.

当事者になるつもりがない人

2015.09.22

当事者になるつもりがある人と、ない人がいる。何が違うかというと前者は目的を達成する担当は自分だと思っていて、後者は担当は自分だと思っていない。前者は目的を成し遂げること以外は手段だと思っているからあらゆる手を尽くすが、後者は目的を成し遂げる担当は自分ではないから、手段や仲間や面子にこだわり、うまくいかなかった時は誰かのせいにする。

当事者になるつもりがない人は自分が責任を持っていて自分が未来を決めると思っていない。自分がやるんだということを決めてないから、本当の意味では起きている出来事をなんとかする権限も責任も自分にあると思っていない。思っていないから現状を改善する担当者は自分だと思っていない。

当事者になるつもりがない人は愚痴が多い。愚痴の原因をほったらかしているのも、解決できるかどうかも全ては自分にかかっていると思っていないから、愚痴が多い。下手すると自分の人生まで愚痴を言っている人がいる。自分の人生の当事者にすらなっていない人が何かの活動の当事者になれるはずがない。こういう人はこんな自分に誰がしたと思いながら生きているから、自分で自分の人生を変えられるとすら思っていない。

当事者になるということは起きていることの結果を引き受けるということで、引き受けると決めていれば当然先読みして戦略を考えだす。うまくいかなければ原因を考え改善し、またトライする。なにしろ当事者にとってはそれをやり遂げる人は自分だと思っているから、他の誰でもない自分の頭で考え自分の責任で実行し、結果を自分で受け止める。

難しいのは、自分は当事者意識がなかったということに気づくのは、当事者としてある程度の意識が芽生えた時でしかないということだ。つまり当事者として考えていない人も、自分は当事者意識を持っていると思って生きている。ある日本当の意味で当事者意識を持った時、自分はそう思っていただけで実は当事者になっていなかったと気づく。そういうわけで”だから君は当事者意識がな、、”なんて話して通じるかというと、おそらくそれは難しい。

当事者は成し遂げられるかどうかは自分にかかっていると思っている。だから考えるし、どんなところからでもヒントを得ようとする。小さなプライドにこだわって他人の助言を受け入れなかったり、自分は間違っていなくて周りがわかっていないだけだ、なんてことにははならない。当事者は目的のために動いているから手段にこだわることはない。

当事者になるつもりがない人と組んでしまうとえらくめんどくさい。だから大人になると当事者になるつもりがある人とない人を見分けられないと、ひどい目にあう。