Thinking In The Past.

個の実力

2015.06.26

以前の世界と違い、実社会では実力がはっきりと見えにくい。自分の周りで仕事が進んでいくけれどそれが誰の力によるものかがわかりにくい。また相手がこちらを尊重するのが肩書きだからか個人に向けてのものかもわかりにくい。

よく大手の会社を辞めて独立した人が最初に苦しむ話を聞く。仕事を行っていたのは実は会社の力が大きくて、個人になると急にそれがなくなるから大変になるという話。確かにそれはあるだろうと思うけれども、一方で会社の力を上手く使いながら仕事をするやり方が上手だったのかもしれない。

ただ実力があるにせよないにせよ、自分の実力が如何程なのかという感覚は大事だろうと思う。本当は自分の力ではない仕事を自分の実力だと勘違いしてしまって気がついたら実力的に劣っていて追いつけなくなったということもあるだろうし、本当はもっと上で勝負できる人が自分を過小評価して力を発揮しないで暮らすのかもしれない。どういう状況であれば自分は実力を発揮しやすく、どういう状況に弱いのか、どんな能力がありどんな能力がないのかがわかれば、戦いやすさも全く違う。

私の場合は自分の実力をわかる為に、肩書きのない個として集団でどう振る舞えたかということと、その時の自分を客観的に見れることが必要だった。

特に肩書きは日本ではとても強い為に、私の場合日本中のどこにいってもかなり下駄を履いた状態でスタートする。オリンピアン、メダリスト、テレビに出ている人というところからスタートするので、これを普通だと思って勘違いしがちになる。私の経験でよかったのは海外で一人の参加者としてみんなとうまくやれるかどうか試したことだった。自分の言葉は国をまたいでもそれなりに力があるんだとわかったけれど、一方でリーダーシップを発揮してチームをまとめる能力は低いと思った。これは日本では肩書きがあってちやほやされる為に勘違いしていたことだった。

一言で言えば、個として試合をすることが大事だろうと思う。特に肩書きや自分の立場を一旦脱ぎ捨てなければならない状況を作ることは自分の実力を知る上で重要だ。実はセカンドキャリアもこれが関係していると思っていて、アスリートという肩書きがない状態の自分の実力をアスリートは知らない。セカンドキャリアにはいずれ消えていくアスリートという肩書きに依存しない実力をいかに早く身に付けるかが、自信を獲得する上でも大事だと思う。

一方、定年を迎えたビジネスマンも、自分の肩書きがない状態の活動を事前にしておくのが好ましいのではないか。肩書きがなくなった時のあの不安感と対処法は経験しておくといいと思う。

私個人の実体験で言えば、能力は如何ともし難いとしても、集団に貢献する意識を持って機嫌よく人に接していれば、個としてはそれなりに重宝されると思う。