Thinking In The Past.

能動の人

2015.06.11

高校生たちと話をして、人生を主体的に生きるということはどういう事かを考えながら、福島から帰ってきた。能動的に自分の人生を生きようと私はよく言う。

能動的に生きるというのは自らの人生の先手をとるという事だと思う。例えば飲み会がある。一番最初の一言目を言う人になろうとするかどうか。シンとした数百人いる空間で一番最初に質問するかどうか。人間の行動を支配しているものの大部分は習慣からくるものだと思う。能動的な人は習慣を把握し、それを変えようとする。

能動的に生きていても組織の下にいる場合もあると思う。けれどもその人は選んでそこにいるのだと考えている。いない事も選べる中、あえて選んでそこにいるのだその人は考える。いや、そんな事はないそこをやめてしまえば生きていけないから仕方なくそこにいるのだと人は言う。人生には制限がつきもので、その制限の中でも選択肢はなお残っている。そして能動的な人は選べない選択肢ではなく、選べる選択肢の中からあえて自分の意志でそれを選ぶ。

能動的に生きるかどうかは、賢さや、知識量の問題ではなく、勇気の問題だ。自分の行動が他人からどう思われるのかを気にしすぎている人は、能動の人になれない。したい事ではなくすべき事に縛られて行動が決まっている。選んでいるようで選んでいない。幼少期から続く常識的な振る舞いに縛られて行動をしている。能動的でない人は、常識的な振る舞いを選ぶわけではなく、それしか選べない。

私たちは相当に制限がかかった人生を生きている。そもそも生まれた人種に制限され、生まれた国に制限され、言語に制限され、能力に制限され、親の収入に制限され、その国の文化的常識に制限され生きている。それらは習慣として体に刻まれ、何も考えずに生きれば習った通りに考え動く人生が待っている。

能動の人は、リスクをとる人である。いつもと違う事をしてみる人である。そして、その場の何かを自分から変えてみようとする人である。能動の人は行動をし、行動によって機会を得て、その機会によって自らを変える人である。