Thinking In The Past.

私のパフォーマンス理論 vol.26 -敗北後の整理について-

2019.07.01

常に試合でいい結果を出し続けることはできない。うまくいかない時や、負けるときもある。敗北したことそのものよりも、敗北後にどう内省し、整理するかがその後の競技人生を決める。

敗北後の整理は、簡単に言えば以下の三段階にまとめられる。

1、振り返りー事実の把握

2、分析ー課題設定

3、対策ー具体的な今後の計画

大切なことは敗北して落ち込んでも、落ち込み続けないことだ。よく熟達者になれば敗北して落ち込まなくなると思われるが、実際には少なくとも私もその周辺のアスリートも負ければ毎回落ち込んでいた。ただ、年齢と共に徐々に立ち直るのが早くなっていった。熟達した禅僧と坐禅の初心者では、坐禅の最中に音がなった場合同じように脳波に乱れが出た。ただ、熟達した禅僧の方が乱れた状態から元に戻るのが圧倒的に早かった。そういうものに近いのかもしれない。落ち込むこと自体は大して問題にならないが、敗北を引きずることで判断に歪みが出たりトレーニング効果が減少したりするの問題になる。感情を抑制するほど落ち込み時期は長引くので、中途半端に落ち込まず思いっきり2,3日落ち込んで、忘れるようにしていた。

振り返りは事実の把握が重要だが、人はどうしてもありたい自分や、見せたい自分で歪みが生まれる。周囲に対してはそのように強がってもいいが、自分とコーチに対してだけはさらけ出せるようにならないといけない。ここで取り繕えば、分析も、対策も全て歪んでくる。プライドが高く自分と向き合えなければ、最後の本質的なところにたどり着けない。

試合で負けた時は、ネガティブな見方をしがちだが結果が悪かったからといってこれまでやってきたことが間違えだったとは限らない。競技者にはゆらぎがあり、調子は少なからず上下する。ただ雨が降っただけなのになぜ雨が降ったのかを分析しても無駄だ。また新しく何かに取り組めば、馴染むまでに一旦競技力が下がることがある。効果が出るまでに時間差があるからだ。そもそもこれだとはっきりわかるような勝因や敗因など実際にはない。メディアや社会に対しては多少演出してもいいが、それと現実的な取り組みは別だということをしっかりと自分で理解しておかなければならない。私も調子が悪い時に、ころころやり方を変えて余計に事態を悪化させたことがある。勇気がいるが少なくともある一定期間(私は3、4ヶ月程度だった)は結果を無視してやり通した方がいい。

2の分析を始める際、目標との実際の差が大きかった場合、目標が間違えていたのか、レースが良くなかったのかの二つの観点でみたほうがい。目標との開きが大きいことが連続すれば、そもそも本人が目標達成を信じていなかった可能性がある。目標達成にコミットしていない人間の目標は願望に過ぎないので意味がない。もし目標との開きが続く場合は、本人やコーチが具体的に目標や計画を立てていないか、そもそも目標達成が重要だと思っていない可能性がある。この場合、早めに本当に達成可能な目標に修正をかけた方がいい。そうでないと目標事態に意味がなくなる。

3で大事なのはなんども「なぜそうなのか?それを引き起こしたさらなる原因は何か」を自分に質問し、より根本の課題に迫るようにした方がいい。私を例に出すと、

試合ーハードルでぶつけて転倒

分析ーハードル技術の問題。←本当にそうだろうか

分析ー踏み切る瞬間にハードルと距離が近過ぎた。踏切技術の問題←本当にそうだろうか

分析ー数台前のハードルから歩幅がおかしくなっていた。ハードル間の技術の問題←本当にそうだろうか

分析ー風が強く吹いていて、風に煽られて歩幅が狂っていた←なぜそうなったのか

分析ー緊張のあまり普段であれば認識するはずの風が認識できなかった←本当にそれだけか

分析ー海外の選手のペースが日本人とは違い、最後の直線で後ろから足音が聞こえて焦って歩幅が狂った

分析結果ー風が吹いていることが察知できない、海外の選手のペースが違いそれに振り回された→国外での試合経験数の問題か

という順番に考えた。人によってはもっと違う着地もあるかもしれない。何れにしても大事なことは、頑張りますとか、練習不足ですというようなふわっとした分析で終わらないことだ。ふわっとした分析はふわっとした対策になり、結果として同じ失敗を繰り返す。もちろんスポーツは複雑性が高くシンプルな問題にたどり着けることはほとんどない。けれども、そうとは言い切れないということを自分に許せばいつまでたっても合理的に考えて仮説を立て仮の答えを出す力がつかないので、強制的にでもこれをやった方がいい。

間違えた課題設定をすれば正しく考えても、悪い対策にしかならない。一生懸命頑張るが最初の課題設定が間違えている選手は意外と多い。特に真面目な選手に多いのが目の前で起きている出来事から対処療法的に課題設定を繰り返すので、問題が複雑に入り組んで本質からずれてしまいがちだ。真面目な人間は継続を愛するあまり、現状に引きずられる。そして間違えた課題を設定し新たな問題を引き起こす。

3の対策は具体的かつ端的でなければならない。端的でなければ人はすぐ解釈を歪めてずれていくし、具体的でなければいつもの習慣に引きずられて元に戻ってしまうからだ。よくあるのは敗北して課題も見つけ気合いも入ったが、対策としては「気持ちを入れて頑張ります」になっている場合だ。これは何も対策していないに等しい。具体的にするためには、今までと一体何を変えるのか、何が違うのかを書いた方がいい。練習の前に目的があり、目的にも優先順があり、それらが変わったから練習が変わるのだということを強く認識しておかなければならない。

陸上においては問題はレースに全てが現れるが、原因がレースにあるとは限らない。日常にあった問題点がレースで現れただけに過ぎないことも多い。だからが故に日常の全てが原因にもなりうる。しかし、そう考えてしまうと具体的には何をすれば今までと変えられるのかがわからないので、あえて自分なりにこれが課題でこう対策するということを決めなければならない。大事なことはそこに至るまでの思考プロセスで、これらが詳細かつ合理的でなければ、結局何度負けても学習しない。スポーツにおいての学習とは起きた出来事をどのように捉え直すかであり、それは徹底した内省と、合理的な分析と、具体的かつ端的な対策で決まる。

敗北とは自分を知る絶好の機会でもあり、良い学習機会でもある。特にレースでの敗北からは相当なことが学べる。チャンピオンでい続けることが難しいのは、敗者の方が学ぶ機会が多く動機も高いからだ。だから、せっかく負けたからには学習効果を最大にしなければならない。良き競技者は、「なぜ負けたのか」と自らに問うた後に必ず「敗北から何を学んだのか」と問わなければならない。