Thinking In The Past.

私のパフォーマンス理論 vol.20 -怪我について-

2019.05.20

アスリートにとって怪我ほど辛いことはない。私も怪我をしてしまったときに、どうして自分だけがこんな目にあうのかと落ち込んだり、ライバルがいい結果を出していてそれに焦ったり、少しも良くならないことに苛立ったりととにかく辛かった。だが、何度か怪我を乗り越えた身としては怪我はしないに越したことはないが、仮にしてしまっても得るものも大きい。

まず、最初に怪我をした場合必ずドクターに診断をしてもらうべきだが、ドクターには診断はできてもどんな競技人生を送りたいのかの判断はできないことを理解した方がいい。来週五輪の予選会を控えて痛みがある場合と、高校一年生で痛みがある場合では、同じ診断がなされても競技者の対処の仕方は全く違う。前者は痛み止めを打ってでも何とかするだろうし、後者であればとにかく安静にしてリハビリに励むだろう。また高校で競技を終える終える予定なのか、未来を見据えて競技をするのかでも違いがある。つまり結局は自分がどうなりたいのかという意思と計画があって、初めて適切な対応がある。

怪我には原因があることが多いし、あると思った方がいい。実際には突発的なものはほとんど偶然であることも多いが、どこかに原因があると考えた方が改善点があるということにもなり、リハビリを行う際の良い励みになるからだ。もう一つはそう考えることで自分の動きを根本から理解し直せることだ。私がやっていた陸上競技は接触がない競技だったから、怪我は動きの歪みから来るものだと考えていた。そう考えると怪我は一つのサインになり、なぜ局所的に負荷がかかったのかを考えることで自分の身体動作の理解には相当に役立った。

私は左のアキレス腱痛と左膝のジャンパーズニーでずいぶん苦しんだ。最初左膝に痛みが出るようになったとき、ビデオをみていると左膝が外に向いて右膝だけ前を向いていたのでそれが原因だと思い、両膝をまっすぐ向けるように矯正した。すると今度は左のアキレス腱が痛むようになった。よくみてみると膝は揃っているが今度は左のつま先が内側を向くようになっていた。つま先も膝も正面を向けると、今度は左の腰が痛むようになった。左の腰を捻ることでつま先と膝を前に向けていたことがわかった。結局痛みが和らいだのは、右の肩甲骨の柔軟性を得た時だった。右の肩甲骨の動きの硬さを左の腰がねじれで吸収し、それが膝やアキレス腱のねじれにつながっていた。痛みが出ている箇所そのものに対処しても、原因となる動きを改善できなければ結局また同じ痛みが出るか違う場所に痛みが出るということを繰り返してしまう。痛みが出ている場所そのものが問題とは限らない。

リハビリで、全体を眺めて問題点がある場所にフォーカスしてそれを改善すると、今度は全体のバランスは変化してしまうということが起きる。例えば、全体像としてAAAを目指しているが現在はAABだという状況があるとする。選手はBをAにしようと努力しフォーカスするが、そうすることですでに全体がACBに変化する。結果はACAになり今度はCにフォーカスするということになる。怪我のリハビリでは局所的に対処しつつ、一方で全体はどうなっているかを俯瞰するという、集中と俯瞰の視点を交互に行わなければならない。全体を部分に分解し、その部分を再び集めてもそれは全体にはならない。全体とは連動であり繋がりのことで一つの機能・部分として切り離すことはできない。

怪我をしてしまってからは以下の三つに気をつけてほしい。これは私が後悔していることでもある。

 

1、痛みを試そうとしない

怪我の最中、どうしても痛みを確かめたくなり、もしかしてもう走れるんじゃないかと、ジョギングをしてみたり、また少し膝の曲げ伸ばしをしてしまうことがよくあった。経験からいってこういったことは怪我を長引かせるだけで本当に一つもメリットがなかった。ちゃんとスケジュールを決めて一切その間は痛いかどうか試したりしないことが結局近道になる。また時々この試し行為によって痛みが出ないポジションを見つけてしまうことがあるが、これにはよく気をつけた方がいい。本当にただ正しい姿勢で痛みが出ないのであればいいが、痛みを避けて誤魔化している場合、全体の動き自体を歪めてしまっている。そうなると今度は違うところに負担がかかりそこが怪我をする可能性がある。また厄介なのは、痛みはないが力も出ないポジションで体が記憶してしまう可能性がありその場合は競技力自体が低下する。正しいポジションから逃げてはならない。

実際に怪我をしてしばらく競技から離れても、ちゃんとカムバックできる。むしろ競技力自体が高まる可能性があるぐらいだ。休むことへの罪の意識や焦りがどうも日本のスポーツ界には強すぎるような気がしていて、陸上であれば1年ぐらい休んでも途中でちゃんと練習を継続していれば3,4ヶ月で戻ってこれる。

 

2、無駄な時間だと考えない

私は怪我をしている間に、もしあの時怪我さえしていなければこんな無駄な時間を過ごすことも、人を羨むこともなかったと悔やむことが多かった。だが、無駄と考えていること自体が精神衛生上良くないし、また負の側面に意識を向けすぎることでせっかく土台となる能力を鍛える機会に前向きに取り組めなくなってしまう。実際に、私は怪我をした時に、なぜ痛みが出たのかを考えることで自分の動きへの理解が深まったし、苦しくなると投げ出す自分を見て自分への理解が深まった。自分を理解する上で怪我ほど良い機会はない。

怪我の時には、復帰後に大きく育てるため土壌を作るいい機会だと意識を変えることが大切だ。地道で変化が少ないがじわじわと効いてくるトレーニングをするにはうってつけだし、私は怪我の時期に作った自分の胴体周りが相当に競技力向上に効いたと思っている。せっかく怪我をしたならずっとほったらかしておいた地道な宿題をやり切るぐらいの感覚でいた方がいいと思う。

 

3、競技以外の関係、時間を確保する

怪我をしている時期は、かなり精神的に弱る。私も一時期本当にこのままどこかに姿を消してしまおうと思うぐらいに追い込まれた。怪我の状態は追い込まれて視野が狭くかつ時間軸も短くなるので、同じ場所で同じ人間とだけあっていると思考が堂々巡りになりワンパターン化しやすい。特に真面目な選手は正面から怪我を克服しようとしてしまいがちだ。こういう時はグラウンドにいても他の選手と自分を比べて落ち込んでしまうだけなので、グラウンドにいる時間以外は全く違うことを面白がって夢中になるぐらいがいい。グラウンドから距離をとって競技以外にも自分の人生があると自分に気づかせることで、客観的に自分の競技を見ることができそれが打開の糸口になり得る。集中よりも、むしろ距離をとることが大切だ。

もう一つの理由は精神の防衛のためでもある。競技者でカルト的な考えにハマるときは怪我やスランプなど精神的に追い込まれた時が多い。健全な時には、答えを出さないで複雑なものを複雑なまま置いておけるが、怪我をしているときは精神的に弱っているので、すっきりと世の中を説明してくれるような答えをつい縋りたくなってしまう。この時期は言い切ってくれる人や、実はみんなは知らない世の中の真実のようなものにハマりやすいをよく気をつけておく必要がある。傾向にすぎないが多様な人間と触れているとバランスを失いにくく、かつ戻ってもきやすいというのが私の経験からの学びだ。

 

怪我は本当に辛いが、この時期に地道な練習を繰り返し、かつ自分の動き見つめ直せれば一段階上のステージに上がる機会でもある。好調時に自分と向き合うことは難しいが、怪我の時期は自分の弱さに正面から向き合うことができ、これは自分理解の素晴らしい助けになる。怪我の時期に、選手の本当の力は試されるし、また鍛えられもしていて、競技者の真贋はこの時に分かれるのだろうと思う。