Thinking In The Past.

明文化されないルール

2018.07.02

W杯で日本が決勝リーグ進出を決めました。最後のポーランド戦のラスト10分間で、日本チームの戦い方に賛否が集まりました。とても興味深い事例なので、これを考察してみたいと思います。

私が興味深いと思ったことは以下の三点です。

1、W杯はエンターテイメントか勝負か

2、ルールにないことはどの程度までやってもいいのか

3、勝利条件はどこに設定すべきか

まず第一の観点は、W杯は勝負かエンターテイメントかということです。もちろん一番わかりやすい整理は見ている側はエンターテイメントであり、やっている側は勝負であるということです。ですが、時に勝負に徹すると観客から見て面白くない戦術が有効である場合があります。二つの目的が対立するわけです。モハメドアリと、アントニオ猪木の試合では、アントニオ猪木さんが寝転がって相手のパンチを事実上封殺するという手段を選びました。これも、戦いにおいて正しい戦術だったのだと思いますが、派手に殴り合う姿を想定していた多くのファンにとっては予想外でした。このようにスポーツにおいて、最も戦いに有効な手段が地味であるという場合は多々あります。もし勝負に徹し過ぎればスポーツ自体のエンターテイメント性が失われファンが減りビジネスとして成り立ちにくくなる。一方でエンターテイメント化しすぎれば、真剣勝負の緊張感がなくなる。この辺りのどこに立ち位置を取るかでスポーツは随分風景が変わります。

第二にルールにないものはどの程度までやっていいのかということです。英語ではunwritten ruleという言葉がありますが、明文化されていないが、暗黙の了解で皆やらないというものを指します。日本は比較的この領域が大きいと私は考えています。一番に思い出される事例は、明徳義塾の松井選手への5打席連続敬遠ではないでしょうか。ルールに反したわけでもないプレイですが、多くの批判を呼びました。まさにルールには書かれていないけれどもマナーとして認識されている領域だったのだろうと思います。一方で、社会の破壊的イノベーションはこの領域で起きることが多いというのも確かです。例えば、違法すれすれ(地域によっては違法だったのかもしれませんが)の部屋貸しビジネスだったairbnbが宿泊の世界を変えていこうとしていますし、Uberも然りです。ひっくり返せばunwritten ruleの領域に踏み込まない文化ではイノベーションが生まれにくいとも言えるのではないでしょうか。フォズベリーという背面跳びを開発した方にあったことがありますが、最初はベリーロールの変形に見えて、ルールには書かれていないが美しくない飛び方だと批判されたこともあったそうです。今では五輪の舞台で、背面跳び以外の高跳び選手を見かけなくなるほどスタンダードになりました。

最後に、そもそも勝利条件とは何かが実はスポーツははっきりしません。いえ、スポーツだけでなくても社会において勝利条件はいつも複雑だと私は感じています。勝利条件とは目的や目標といってもいいと思います。例えば、チームを勝たせることだけに勝利条件を置いた高校の部活チームがあるとします。しかも勧誘が禁止されていて、部員もやる気がない部員(少なくともコーチの就任時点では)が多いとします。そうなると、短期的にやる気のない人間を動かすには恐怖を与えるという手は実は有効です。ところが多くのチームはこのような手段はとりません。なぜならば恐怖によって支配することは選手の人生を広げることとは反対の手法だからです。つまり勝利条件はこの場合チームの勝利と、選手の生涯にわたっての成長の二つあるということです。そして、これ以外にも、あるべきスポーツマンの姿、ステイクホルダーの満足、競技全体の発展、代表する学校の校風など、たくさんの勝利条件があり、この中で日々意思決定をしています。

ところが勝利条件が多すぎる人は、すべての勝利条件が完全に一致する場面はほぼないわけですから、意思決定に迷いが生じます。そして、目的を絞り込めず戦略や戦術がぶれたり弱まったりします。さらにその下にいる皆も混乱します。故に多くの組織は理念などを設定し勝利条件を絞り込んでおくわけです。勝利条件をシンプルに絞り込める人は強いです。強いのですが、シンプルすぎると人を傷つけたり、皆を不幸にしてしまったりします。さらに勝利条件がシンプルな人々が集まる場では、全体の利益を考えるという視点が不足しがちになります。このバランスをとりながら、スポーツの現場では意思決定がなされています。実はスポーツのリーダがまずやるべきことは戦略や戦術ではなく、この勝利条件の設定であるということはあまり知られていません。

スポーツを通じて人間や社会を理解することが私のライフワークですが、今回の例は考えさせられる素晴らしい機会になりました。改めて決勝リーグに進んだサッカー日本代表に敬意を表するとともに、考える機会をいただいたこと、さらにはそうして議論をできるような平和な環境にあることに感謝したいと思います。