Thinking In The Past.

敵、味方を超えるもの

2018.05.18

2001年の世界陸上の400Hで決勝に残った8人のうち6人と2015年頃にfacebookで繋がってやり取りをするということがあった。お前子供がいるのかとか、コーチになって選手が活躍しつつあるとか、いろんなアップデートがあって楽しい時間だった。数日後に決勝八人全員が写っている写真がアップされてタグ付けがされていた。僕はちょうど三番目を走っていた。

現役時代には私たちは敵同士だった。もちろん試合もよく一緒になっていたので仲良く話はするし、試合が終われば一緒に飲みにいったり、合宿をしたりもした。怪我をした選手への労わりや、お互いへのリスペクトもあった。ただ、スポーツにおいて優勝者は一人しかいない。つまり彼がいなければ私がメダリストになり、私が怪我をすれば彼の順位が一つ上がった。もちろん言わなかったがみんなきっとあいつさえいなければと思ったこともあるだろう。私もそう思ったことは一度や二度ではなかった。それでも会った時は笑顔で握手し、スタートしてからは全力で戦いあった。

2008年の北京五輪は110Hの劉翔選手に注目が集まっていたが、彼はアキレス腱に怪我を抱えていた。試合の本当に1時間前まで全く彼は動いていなかったが、しばらくして耐えきれなくなったかのように壁を自分の痛めた方の足で蹴り始めた。選手であればすぐ、棄権が決まっているんだなとわかるような光景だった。1分ほどの間だったか、徐々に蹴る力が強くなっていく彼を、みんな見ないようにしてじっと見ていた。1時間後の予選、スタートしてすぐレースをやめた劉翔選手は予想通り中国国民から激しいバッシングにあった。

選手達は今、それぞれの人生を生きている。私は日本に住んでいるし、オーストラリアにいるイギリス人もいる。コーチになった選手もいれば、メディアの仕事をしている選手もいる。息子を競争させようという話もした。ある選手は離婚して大変だったんだけど今は再婚してハッピーだと言っていた。

一方で、私たちには共有のハードラーであったというアイデンティティがある。人生のある時期に、全身全霊を傾けて一つのことに取り組み、戦いあった仲間でもある。時々によって勝ち負けがあり、うまくいった選手もそうではない選手もいた。でも、皆一様に苦しみに耐え、プレッシャーに耐え、競争しながら自分と向き合ったのは同じだ。アキレス腱の痛みがどんなものかは、誰もがわかっているし、負けると半分わかっていてそれでもレースに出る時の複雑な気持ちもわかっている。何も言わなくても、相手の顔を見ただけでお互いが同じものをくぐり抜けてきたのかがわかる。

スポーツが人生においてもたらすのは一時の勝利だけではない。私たちは国籍や人種や、様々なものを超えて、ハードラーである、アスリートであるというアイデンティティを持った生涯にわたっての仲間を手に入れる。お互いが敵である時期なんて人生のほんの一時期でしかない。一つのことに夢中になった仲間として過ごす時間の方がよほど長いのだ。