Thinking In The Past.

我慢しない時代

2018.06.22

私は幼少の頃から、自分の足の動きを制限するものが嫌いで、中学生の半ばまでずっとジャージだった。20代はスーツを着たりめかしこんだりと我慢をしていたが、30の半ばをすぎたあたりからやはり我慢ができなくなりパンツは少なくとも生地と心地よさで選ぶようになった。

グラミチというパンツがあり、元々はクライマー用に作られていたものだが、それが街着として浸透した。私ははき心地が良いのでこれを愛用していたが、元々有名ではあったものの最近は本当にあちこちで見かけるようになった。今朝も歩いていたらあるアパレルの正面に大きくロゴが書いてあった。みんな窮屈が嫌になったのかもしれない。売れてるのだろう。

考えてみれば昔は我慢しなければならないことが多かった。家は寒かっただろうし、家事も多かった。会社もしきたりが多く、真夏でもみんなスーツを着ていた。部活でも体罰が多くあったし、上下関係も厳しかった。それに比べれば、まだまだのところもあるが、今は随分自由になった。アンカンファタブルなものは改善され、パワハラは強く取り締まられ、無駄なしきたりも減り、部活でも体罰は禁止になった。

ダンアリエリの著書で紹介されていたが、人生のある時期に痛みを抱える時期があった人は、痛みに対して許容しやすくなるそうだ。彼自身が、全身火傷を負ったタイミングで痛みが長く続き、元の生活に戻った時に痛みの感覚が鈍ったと感じたことから発想した。人間の大きな特徴の一つは可塑性だから確かにこれは納得できる。可塑性は言い換えると”慣れ”ということになるだろうか。

私自身の人生で言うと、子供の頃に比べ、競技時代にトレーニングで苦しいことをしていたので、苦しさや辛さや、没頭することには抵抗がなくなっている。ただの成長かもしれないが。

昔に比べて我慢しなければならないことは減ってきているし、これからもそうなり続けて行くと思う。ただもしも一時的にでも戻ることがあるとしたら、耐性がない人は急に苦しい状況に置かれるだろう。長期的にはないだろうが、短期的には状況が起こり得るかもしれない。また、地球の中でも許容度は違うから、我慢の許容度が小さければ訪れられる地域や文化も制限が出てくるだろう。私は息子にはなるべくいろんな体験をしてほしいことと、いろんな場所や人にあってほしいので、耐性が必要だと考えアンカンファタブルな経験をなるべく多くさせたいと思っている。

最近、昔のパンツを履いてみたが、窮屈だし何か足の動きを制限されているようで、1日履き続けることが我慢できなくなっていた。それで、時々心地悪いパンツを履いて慣らしておくか、もう諦めるかどちらにしようか迷っている。

我慢できるがしないことと、我慢できないことの間には結構大きな差があるように思うが、自分が今どちらにいるのかがわからないのが難しい。