Thinking In The Past.

怒りと成功の関係

2018.07.22

コンプレックスや嫉妬、または怒りは成功にプラスなのだろうか。そう感じること自体は避けられないが、上手く使えばむしろ成功につながるという着地に行き着く人が最も多いように思う。では、具体的に上手く使うとはどういうことか。

怒りはエネルギーにつながる。例えば、ある飲食店で店員にすごく嫌な思いをさせられたとする。むしゃくしゃするのでもう一軒飲みに行くが、あなたは腹の虫がおさまらない。家に帰ってその店のサイトを見つける。できるだけみんなが悪い印象を抱くように上手くコメントを考えて書き込む。それでも満足しないので、どこか他のサイトにも間接的に悪い評判を書き込む。人間は必死で何かをしている時には必ずそこから学ぶ。この例で行けばどうすれば店が困る書き込みができるのかを学習する。シンプルに言えば、相手に効率よくダメージを与える能力が身につく。

さて、ここで問題になるのはこの能力は自分自身の人生の何をよくしてくれるのかということだ。この例で身についたのは相手を傷つける能力だが、残念ながらこの能力が必要とされることは社会においてそれほどない(完全にないわけではないと思う)。必要とされないということはその能力を用いて自分の人生がよりよくなることは難しい。怒りに支配されているときの学びにはこの問題がつきまとう。何を学ぶかは怒りが決めてしまい、自分で選べなくなる。

さらに問題なのは、怒りに任された行動は概ね対処療法的なので、根本をなす問題は解決されないことだ。三途の河原が辛いのは、積み上げたものがなんら現状を変えないからだ。怒りはこのスパイラルに自分を引き摺り込んでしまう。つまり、怒って行動しても自分も外界も変わらないので、無力感を自分に感じさせる。次第に自分には力がないのだと自分自身に無自覚に刷り込んでしまう。

では、どうすれば怒りを自分の成長や成功に繋げられるのか。怒りの対象の根幹はなんなのかと考えるとだいたい二つに行き着く。社会か自分だ。人間はとても社会的な生き物で、構造に多分に影響を受けて振る舞いを決めているので、つまるところ構造を変えるしかないというところに行き着く。じゃあ、どうすれば構造は変えられるのか。何が問題か。その問題はどうすれば動くのか。動かせる人は誰なのか。そこにはどうすればアクセスできるのか。おなじ怒りからくるエネルギーでも、人を包括している構造への理解に向けた方がよほど汎用性の高い能力が手に入る。

一方で個人の側にも考えが及ぶ。簡単に言えば自分に力があると変えられることは多い。ただそれには時間がかかる。大量に学習して能力を高めなければならない。また、怒りを感じるには価値観が必要になる。価値観がなければ怒りもない。私がそれに怒りを感じるに至った価値観の根幹は何か。そのように考えていくと自分を理解しなければならなくなる。結果、能力を高めるか、自分を把握するかのどちらかにエネルギーが向く。

ペインポイントという言葉で表現されるが、自分自身が社会の中で苛立ちや憤りを覚えた部分の改善には人はかなり執着してエネルギーを割ける。起業家に個人的な体験からくる社会への憤りが出発点としてある人が多いように思われるのはこのエネルギーをうまく企業に生かしているからではないだろうか。同じ怒りでもこの怒りは、社会をよりよくし、個人にも富をもたらす。

このように怒りを感じること自体は人間にはコントロールできないが、怒りを上手く使い人生をより良いものにはできる。怒りを生産性の高い実務に落とせる人は強い。そして実務に落とすためには怒りに支配されず、一歩ひいて全体を眺め抽象概念で理解する必要がある。後者がなければ事あるごとに自分の中にある別の人格に乗っ取られるような人生を生きる。