Thinking In The Past.

忖度と進化

2017.10.31

[:ja]藤田さんの記事を読みながら、ふと今月読んだ本を思い出した。目の進化に関するものだったのだけれど、その中に面白い内容があった。色々詳細はあるのだけれど、要約すると、

”生物は実際に闘争能力を持ち身を守るよりも、闘争能力を持ち合わせていると思わせる方に進化した例の方が多い。実際に戦闘になれば失うものが大きいので、戦闘に有利というよりは、そもそも狙われない、狙っても狙った側にも損失がありそうだと見せる方に進化をした”

というものだった。確かにあんまり役に立たないツノとか、見た目で蛇に見える模様、または日光に照らされると光る魚の鱗など、結構なコストをかけて進化をしてるのは見た目目的だという場合が多い。そもそも気づかせないか、または攻撃するとあなた自身も失うものがありますよと思わせることが結果、合理性があるということらしい。

さて、日本社会において忖度は様々なところで散見されるけれど、実際に、本当にそうなのか確かめた人はそれほどいない。あの人はあそことつながっている。あの人のバックにはこんな人がついている。実際にこんな目にあった。そんな噂話が広がり勝手に忖度の輪が広がる。広島にいた頃、よく不良の先輩もそんな話をしてた。

賢い友達は、自分がいかに強いか、自分には実は暴走族に属している親戚がいて手を出すと大変なことになると噂を流していた。最終的にはばれて、友達にバカにされていたが戦略的には正しかったのかもしれない。

なぜ進化はそうであるより、そうであるように見せる方に進化をしたかというと、シンプルにその方が種を残すために有利だったからだと言える。強くなるためにかけるコストよりも、強く見せるコストの方が低い上に効果が大きかったのだろう。

人間にあり、動物にないものは、学習したことを伝達する言語そしてテクノロジーだ。あの蝶は蛇の柄をしているが蛇ではなく蝶であるという情報が出回る。だから人間はそんな蝶に騙されないのだとなるかと思いきや、いやあの蝶は実は蝶のふりをした本当の蛇なのだという情報もまた出回る。半分は疑っているが、でももし本当だった場合蛇に食べられてしまうということで結局人はすくんでしまう。あれはただの蝶だと言って誰かが確かめて見るまでは本当なのかどうかがわからない。

忖度は人間社会においての話に思えて、実は生物の世界にも存在するのではないかという拡大解釈の話でした。[:]